- ■第1回「ひくわ!」
- ■第2回「ハプニング発生!」
- ■第3回「地デジ」
- ■第4回「元気をもらいました」
- ■第5回「女子」
- ■第6回「夢」
- ■第7回「ステマ/食べログ」
- ■第8回「“〜系”というような相対化表現」
- ■第9回「偉そうな食べ物屋」
- ■第10回「ゆるい」
- ■第11回「思い出作り」
- ■第12回「不器用」
12月26日生まれ。鹿児島県出身。1988年『まっているよ』でデビュー。『娚の一生』全3巻(FCα刊)が大ブレイク中! 最新刊『姉の結婚』1巻(FCα刊)、『西炯子のこんなん出ましたけど、見る?』(FCスペシャル刊)好評発売中。現在は、「月刊flowers」で『姉の結婚』、「月刊flowers 凜花」で『娚の一生 スピンオフ』を連載中!
やあ!20日ぶりでございましたね。
さて、『ステマ/食べログ』の回でステルスマーケティングさせていただき「欲しいつったらくれんかなあ」と卑しいことをほざいていた件の『ウソツキ!ゴクオーくん』(コロコロコミックス)。言ってみるものですね。
ばっさー。
青い翼を広げて小学館旧ビルから販売君が飛んできた。机に本をぽとり。あっゴクオーくんだ。やった、打ち合わせが済んだら編集部のすみっこで読もうっと。
「?」
窓の外から、販売君が顔を半分出して、ほっぺをすこし赤くしてこっちを見ている。
「感想聞きたいの?」
こっくり。
仕事熱心である。
「打ち合わせが済んだら読んで葉っぱにお手紙書くよ。販売君今夜も残業だろうし、空中でホバリングしてるのも体力食うから一旦部署に戻ってね。ここ6階だから。高いから。」
こっくり。
「“不器用”ってキャプション、漫画や本や映画なんかでやたら見ますよね」
うちのスタッフが言った。
言われてみりゃ私の単行本の帯にも“不器用系”と書いてあるな。
皆さんも思い当たることと思う。
「でもさあ、“不器用”って惹句にはやっぱり惹かれるわ私なんか」
昔、私の漫画の惹句には“センシティブ”という言葉がよく使われていた。90年代流行ってたしね。して今は“不器用”ときたもんで、うーん、なんか面倒くさそうな女だなあ私は。
“不器用”という言葉は本来、作業能力の不足というようなマイナス評価の言葉であったが、これが変質したのはもう明らかに、高倉健以降と言っていいだろう。お若い方のために説明しておくと、高倉健という俳優が生命保険のCMで言った「自分は、不器用ですから」との台詞が80年代中盤頃流行語となったのである。彼は任侠映画などでその地位を不動のものとした俳優であり、寡黙で生きるのが下手、が故に愛され憧れられるというタイプのキャラクターを多く演じた。私生活を詳らかにしないが故に俳優本人と役柄のイメージは重なっており、このCMの、少しはにかみながらの「不器用ですから」の台詞は国民的好感のもとに大流行した、という経緯がある。
さて先程「私は“不器用”の惹句にやはり惹かれる」と書いたわけだが、それは、そういう経緯で高倉健以降、生き方という意味合いでの“不器用”の評価が変質したからだ。便宜上これより“高倉前後”を“BT、AT”と表記するが、ATに於いては「お前不器用だなあ」には「そんなお前がいいのさ」の肯定的なニュアンスが、BTに比して多分に含まれている。“正直”“愚直”であるが故の生き下手=不器用は積極的にプラス評価されるようになったのだと思う。それは、一方に於いて“器用”という言葉が、羨望からくる批判のニュアンスを帯びてきていることと対を成している。つまり、器用=うまくやってる、ということ。格差、勝ち負け、という言葉がひと頃世を覆ったが、「うまくやれない」大多数は大まかには不器用側なわけだ。
斯くしてATに於ける不器用な人は、多数派でありながら負け意識を持っているという構造が見えてくる。よって、「不器用なあなたへ」なる惹句は結果としてマジョリティへの呼びかけであるという意外な結論が導き出されるのである。呼びかけられる側が個々に自分を少数派であるとよし認識していたとしても、豈図らんやあなたは多数派。そら呼びかけるわ。本もテレビも映画も。
“不器用”は“センシティブ”に取って代わったとも言えるが、では“不器用”の次は何だろうか。本当はここを考えたかったのだが、BTとかATとか言ってるうちに面白くなってきちゃってこんなとこまで紙幅を食ってしまったよ。回を改めて考えるかな、んー、でも見えないな、次って。当分このトレンドは続くような気がするばかりだ。
さて、『ウソツキ!ゴクオーくん』だ。面白くなかったらそう書くんだからな。人物紹介のページをめくる。『ゴクオーくん/八百小学校にやってきた謎の転校生』
…嘘、八百…ヤバい、ここでもう吹いた。



